西表島のイタリアンレストラン【テラ イリオモテ】より
今回は、西表島にて日本で最南西エリアにあるイタリア料理店「テラ イリオモテ」を経営されている、鄭 彰彦さんからのご寄稿となります。
深夜0時、ここでは「終電」はない。
県道沿いに歩き始めてから、1時間が経とうとしている。
誰にもすれ違わず、追い越す車やバイクもなかった。
自宅までの道のりをひたすらに歩く。
今日は月灯りを頼りに外を歩けるくらいに明るい夜だ。
「ガサッ・ガサガサッ」
おぅ!出たか!?
こ、これは・・・!
真っ暗闇に浮かぶ大きな黒い影は、バサバサと音を立てて飛び去っていった。
周囲や足元が気になって、持っていたスマホのライトで照らしてみる。
「カサカサ、カサカサ」
ここにも、そこにも。
赤っぽい影が大人が小走りするスピードで、道路脇に隠れていく。
今夜は満月。
このエリアの主人である彼らが、最も活発に動く日なのだ。
『日本最後の秘境』
そう呼ばれるこの島は、動植物・昆虫たちが主役。
世界自然遺産として、国境を越えて世界に名を馳せる大自然の宝庫:西表島。
通勤時間帯の山手線11車両編成に収まるほどの人口が、東京23区の半分程のサイズの島に住んでいます。
【人口概数】
東京23区→9,778,900名
西表島→2,400名
ということは、人口4,074分の1、人口密度は8,150分の1に相当します。
ここ西表島では、生き物が主役の特別な自然環境があって、その中で人が生活をさせてもらっているということがよくわかります。
島の道路は、県道が一本海沿いに通っているけれども、一周はできずに4分の3位を網羅。
その道路沿いにある14の集落と、船で渡らなければ行くことができない1つの集落で成り立っています。
※由布島を除く
島の9割は未開のジャングルに覆われ、今でも新種の生き物が発見されたり、世界で西表島にしか生息しない生き物が生息する、言葉の通りの秘境なのです。
沖縄本島から400km(東京↔︎名古屋と同等)、大阪から約1,600km、東京から約2,000km離れた場所に位置する西表島。
ご近所の台湾まで190km(東京↔︎静岡と同等)で、台湾北部の台北よりも南に位置する、海外の様な場所とも言えます。
申し遅れました。私はここ西表島での生活6年目となる鄭彰彦(テイアキヒコ)と申します。今月よりここ西表島の移住生活のエピソードや、生活を送る側として感じる西表島の魅力や個性について、お届けしていきます。
日本最後の秘境と言われるジャングルの島:西表島からの情報に、ご期待ください。
まずは、どのようにして私が西表島への移住に至ったかについての全てをお伝えできればと思います。
私の故郷:越谷市は埼玉県の南東部に位置し、江戸時代に参勤交代の大名行列が通った日光街道の宿場町として発展し、現在は東京のベッドタウンとして人口約34万人を擁する関東平野の街。
幼稚園入園前の3歳で、住んでいたマンションの一階で出会ったカマキリに心を射止められ、虫捕り少年として育つ中、小学館の図鑑『クワガタムシ』の編集手記で、南の昆虫パラダイス:西表島の存在を知りました。
関東では出会えない、亜熱帯エリア独特の力強いフォルムのクワガタムシが、幼少期の私の心に強く刺さり、行きたい!と強く願った記憶がはっきり残っています。
小学校を卒業するまではひたすらに昆虫を追い、中学受験を経て都内の中高一貫校に進学が決まったことで、昆虫を追う機会も次第に減っていきます。
大学卒業とともに松下電工に就職し、松下グループお膝元の大阪でセールスマンとして社会人生活をスタート。
都市部中心での生活は、中学入学時の12歳から実に10年以上経ってました。
時が過ぎ、勤続5年の節目休暇を使い、自然が最も濃い場所を求めて旅に訪れたのが西表島でした。
当時27歳。
図鑑を通して島の存在を知ってから、実に18年程が経過していました。
関西空港から石垣空港まで飛行機で3時間、石垣港までバスで30分、西表島の港まで船で1時間。
中継時間を含めると、約6時間かけて到着した西表島は、港に降り立った瞬間の空気の味が濃かったことを覚えています。
大阪では目にすることのないカラフルな蝶やトンボ・バッタに目を奪われ、夢中に虫たちを追いかけた旅は、心を洗ってくれた様に感じるものでした。
旅を終えてから戻った都市部での生活では、平日は仕事に没頭し、休日には趣味の食べ歩きや京都や神戸などの観光地を巡る充実した日々を送り、大阪で出会ったパートナーと32歳で入籍・結婚をしました。
30歳を迎えた頃から同期の海外赴任や、メディアを通じて、世界戦を繰り広げる同年代のアスリートを強く意識する様に変わって来ていました。
『世界を舞台』に闘う、という生き方がしたい。
全世界にインパクトを与え、誰もしていない挑戦がしたい。
自問自答する日々。
何をしたいのか?
何になりたいのか?
そんな葛藤を抱えながらの結婚。
主語が、『私』から『私たち』に変わる、とても大きな環境変化でした。
『人生が変わり始めている』
そう感じ始めた頃、自分たち自身の人生に挑戦をするかどうかの決断チャンスとして、最終局面を迎えていることを認識しました。
そして。人生を変えるための具体的アクションをしよう、と決断したのです。
具体的なアクションとしては、必要なことは3つ。
①住む場所を変える
②時間の使い方を変える
③付き合う人を変える
つまり、会社員としての暮らしの継続では、人生を変えることはできないということは明白。
自分の生活・仕事を自分でコントロールすることが必要なのです。
では、何をしたいのか?
何ができるのか?
そのために、何をしなければいけないのか?
まず第一に決めたことは、環境でした。
選んだ場所は、西表島。
西表島に移住する、ということです。
日本唯一といえる個性を持つ場所(ユニーク性)であり、世界自然遺産に登録される可能性(環境変化)もあり、更に地域の個性に人が集まる観光地としての魅力(認知度)を持っていること。
新たな環境として選択するために必要な要素を満たすのは、日本広しと言えども西表島だけ。
決まったならば、即行動です。
西表島への移住を決めたのが2018年7月。
2020年の世界自然遺産登録を目指していた動きから逆算すると、2019年には島での暮らしをスタートさせている必要がありました。
周囲には会社を退職して地方移住をした様な知人はいないため、手当たり次第にネットで情報収集。
すると、全国移住相談イベントに辿り着きます。
そこには、偶然にも西表島を管轄する自治体、竹富町が出展していたのです。
二日間のイベントで、初日は役場の方・移住支援をしている民間企業の方にお話を伺い、自己紹介をして帰りました。
そして翌日、自己紹介をプロフィールにまとめ、併せて西表島でやりたいことを実現したいイメージとして簡潔にまとめた資料を持参した上で再訪問。
今度は自分の言葉で、西表島移住への思い入れを伝えました。
当日のイベント終了時間を見計らって、担当の方に電話。
その日の夜の食事の場にご一緒させて頂くことができました。
この二日間を経て耳にした、西表島での移住生活のリアルや、島の仕事事情を自分の目で確かめるために、9月末に西表島へ視察に訪れます。
そこで再会した役場の方や、現地の方達へ意気込みを伝えたことで、自らの思いもより一層強くなりました。
そんな流れがあり、2019年4月1日には、竹富町役場所属の地域おこし協力隊として、西表島での仕事をスタートさせることとなったのです。
地域おこし協力隊としてのスタートを切れたのは、西表島西部にある宿泊施設の管理人業務を、協力隊の仕事として竹富町役場から公募で募ったため。
こうして、『世界の西表島』での移住生活が始まったのです。
この時はまだ、移住して一年経たないうちに、新型コロナウィルスによって世界中が混乱し、大変革が起きることになるとは知る由もなかったのです。
【ライター情報】
鄭彰彦(テイアキヒコ)
2019年4月から西表島での生活を開始し、6年目。
移住の苦楽を共にしつつ、毎日笑い合える世界一の妻・宇宙一の愛息子の3人家族。
地域おこし協力隊の任期中に、新型コロナウィルスの影響で世界の大変革を経験。
2022年5月より、リストランテ・テラ・イリオモテを立ち上げ、現オーナーシェフ。 『食体験の思い出、全日本離島No. 1を獲る!』をスローガンに、食を通して離島から日本を変えるため、日々奮闘中。
今後も、鄭様より西表島・テラ イリオモテの魅力や日々の生活からの発見を発信いただきます!
鄭様、よろしくお願いいたします!