琉球芸能のゆかり#6 歌碑めぐり 恩納村の女流歌人 恩納ナビーの恩納節
琉球芸能のゆかり#6 歌碑めぐり 恩納村の女流歌人 恩納ナビーの恩納節
皆さんこんにちは!
あっという間に春の季節になりました。沖縄は半袖でも過ごせるほど暖かくなってきましたね。
今回は歌碑についてご紹介したいと思います。
実は、沖縄には琉歌が書かれた歌碑が色々なところに建てられています。
沖縄県立芸術大学の琉球芸能専攻では、詞章研究という授業があり、歌碑めぐりを行った
りもしているのです!そこで、今回は私の好きな恩納節の歌碑をご紹介します。
恩納村は沖縄の北部に位置する自然豊かな村です。
そこには、昔、恩納番所の松の木の下にたてられた、ある立札にまつわる歌詞が書かれて
います。
恩納節(オンナブシ)
《歌詞》
恩納松下に 禁止の碑のたちゆし 恋しのぶまでの 禁止やないさめ
《意味》
恩納藩所前の松の下に禁止の立て札を張り出しているが、恋をすることまで禁止する定め
はないはずだ。
実際に松の下にこのような歌碑と説明がきが置かれています。
松の木の横には、番所の跡地もあります。
小さな丘のようになっており、恩納村の自然がうかがえる場所になっています。
この琉歌は恩納ナビーと呼ばれている、沖縄を代表する女流歌人がうたったとされていま
す。
若者が何にもはばかられずに恋をしてもいいのだというような意味も込められています。
時代背景としては、1719年。
中国からやってきた使者が、北部視察のために宿泊予定だった恩納間切藩所の前に、「毛
遊び」を禁止する王府命令の立札が張り出されたとことがきっかけのようです。
「毛遊び」というのは青年男女が夜に野原に集って歌ったり、踊ったりして、昼間の疲れ
をいやす素朴な遊びのことを指していると言われています。
決して、悪いことではありませんが、王府では男女の風紀を乱すものだとして、使者にそ
のようなものを見せてはいけないと立札を張り出したとされています。
しかし、そのように禁止事項が書かれていても、恋する気持ちや、誰かを好きになる気持
ちは誰かに止められるものではない、という意味合いも含まれているのではないでしょう
か。
この恩納節は、恩納ナビーの琉歌の中でも有名な曲で、琉球古典音楽の代表的な曲とし
て、様々な場所で歌われて愛されています。
この歌碑から少しだけ離れた坂の下には、恩納ナビーの生誕地と書かれた石碑も建てられ
ています。
坂を下ると、、、!
畑のような土地の一角に石碑が建てられていました。
そこからもう少し先へ行くとカンジャガーと書かれた川のような場所もあります。
自然豊かな恩納村の土地で、歌碑めぐりをしながら探索するのも楽しそうですよね!
このように、沖縄にはまだまだ琉歌が書かれた歌碑がたくさん建てられています。
沖縄を旅しながら、その土地にまつわる歌を聴いてみるのも沖縄の音楽に触れる良い機会
になると思います!
興味のある方はぜひ、歌碑めぐりもしてみてくださいね♪
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
【恩納節の歌碑】
沖縄県国頭郡恩納村恩納 現在の恩納村役場の反対側の中道にあります。
《Writer Profile》
照屋綺恵(てるやきえ/ TERUYA KIE)
沖縄県立芸術大学 琉球芸能専攻3年次 / 琉球古典音楽三線
三線×箏からなる琉球古典音楽ユニット「Re:finesse ~リフィネス~」で活動中。
https://twitter.com/kietarou_03
https://instagram.com/refinesse_rcm
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