神みちについて【元琉球王族、尚家が語る沖縄への想い】
神みちについて【元琉球王族、尚家が語る沖縄への想い】
皆さん、こんにちは。今年度も尚本家にてコラム記事を寄稿させて頂く事になりました。
コロナ禍で訪沖が難しいですが、精一杯、丁寧に沖縄の歴史などを寄稿させて頂きたく思います。
前年度は歴史、お祭り、日本遺産などを中心にご紹介申し上げましたが、今年度はこれに加えて新たな趣向のコラム記事も考えております。どうぞよろしくお願い申し上げます。
今回は「神みち」についてお話しさせて頂きます。
沖縄には神が人と共に歩き、人が神と共に歩く「神みち」と言う観念があります。
これは、沖縄や奄美諸島で伝承されるウンジャミ祭(海神祭)が行われた時に使われる道であります。
民俗学では、血縁集落の祖先の足跡を示すもの、との説もあるようです。祖先が初めて辿り着いた島などで、上陸地点から部落までの足跡を克明に示すものと言う解釈です。
「神みち」を歩く祭りの前日は、「神みち」が田になっていたりすると土盛をして歩けるようにし、祭りが終わると元の田に戻すそうです。「神みち」はとても厳粛なもので、近回りをしたり歩きやすいところを歩いたりしてはいけないそうです。今から40年ほど前から「神みち」を男性も歩けるようになりましたが、それまでは女性のみ歩くことのできる道でした。また、「神みち」は時に池の中を通っている事もあります。その場合は、祭りにあたり「神みち」を腰まで水に浸かりながら歩くそうです。
そこまでして頑なに「神みち」を守ってきたのは、「神みち」とは有史以前の原始、その時代に生きた先人たちの感覚が歴史を作り、守ってきたからかもしれません。当時初めて沖縄に上陸した人々は文字で記録することのない時代でした。自分たちの上陸の歴史を「神みち」として伝えたのです。ある地域では上陸した人が水を求めてさまよい歩き、ついにさがしあてて定住するまでのいきさつを詩に込めて、神歌として語り継がれてもおります。
「神みち」を伝える年に一度の祭りの日、神女の足に思いを託すことで、祖先の足どりを自分たちの足で歩き確かめているのだと思います。歴史の原点とも解釈できるものが「神みち」なのです。
私たちの祖先も、時には様々な困難を乗り越えて歴史を紡いでいったのだと思います。歴史を大切にしながら、受け継ぐべきに相応しい方法で護り伝えたいと思います。
筆者:尚 満喜(しょうまき)
1984年生まれ、一新塾26期・47期生 神職として奉仕しながら
一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会 副代表理事
NPO 片目失明者友の会 副代表を務める。