投稿日:2022.03.14

ものづくり特集:今年で50年。かわいい「琉球みやらびこけし」づくり

「琉球みやらびこけし」は沖縄県が本土復帰をした1972年から沖縄県南部の障がい者支援施設「太希おきなわ」で作られており、今年で50年目を迎えます。
「みやらび」とは「乙女さん、娘さん」を表す沖縄の方言。ニコニコ笑顔のぱっちりとした目元の可愛らしいお人形です。沖縄の新しいお土産物を作ろうと始まったこけし制作。節目の年に施設の新里 隆弘さんにお話を伺うことができました。

 

「琉球みやらびこけし」の制作50年目ということで、長年の活動が実を結び、
お土産として人気ですね。現在制作している、5種類のデザインをご紹介ください。

沖縄の織物紅型や琉球舞踊をモチーフにした琉球みやらびこけしです。

左から

1「四つ竹(花笠をかぶった紅型の琉装姿が特徴)」
2「絣帯(琉球絣の衣装をまとったこけし)」
3、4それぞれ、色付けをせず木目を生かした琉球松仕様の絣帯と四つ竹
5「はいさいドール」
(昔から米軍基地内のみやげ品店では高い人気を誇り、沖縄を離れる兵隊さんにお別れのメッセージを添えて贈られた。昔は“サヨナラ・ドール”と呼ばれていたといいます。)
6「糸満娘(頭にバーキ(かご)を乗せて魚売りした娘さん)」農林通産大臣賞受賞

他に「シーズン限定・絣帯クリスマスversion(着物も赤色、サンタ帽をかぶっています)」など期間限定で作ることも。

 

近年、郷土玩具を好きで集めている方も増えているかと思います。
どのような方がお買い求めになりますか?(若い方や外国の方にも好まれますか?)

映画「小さな恋のうた」でモンゴル800さんの歌とともに若い方々の問合せも増えてきました。最近ハワイの方から励ましの嬉しいお手紙を頂いています。

 

50年を振り返って、印象的なことはありますか?

我々施設の民芸班においては大きな波があり不定期ではあるがこけしブームが訪れています。最初のブームは1975年の沖縄国際海洋博覧会開催時にみやらびこけしを出展したと聞いています。その頃の資料はないですが、海洋博の前夜祭に招待されていることは記念誌に残ってます。かれこれ、45年前のことになります。

1979年から沖縄全域で行われる産業まつりにも出展販売して認知度が少しずつ上がってきました。1987年には、第42回国民体育大会(海邦国体)の記念品に使用していただきました。(納期に間に合わせるために、徹夜もしたと聞いています。)

1990年から2010年にかけ、米軍基地から施設見学が頻繁に行われていました。その中で交流が生まれアメリカ軍将校婦人のホームパーティーや基地内での展示即売会などに招待されるようになり、婦人らから本土の「さよならドール」を見せてもらいメッセージが書ける沖縄風こけしづくりをお願いされました。(談:仲本施設長)

現在のハイサイドールの誕生です。

基地内での即売会やショップに納品の際は、パスをもらい基地内に入りますが基地内のピザが大きくて安いので、職員に頼まれて10枚ほど購入し店員に嫌な顔をされたことや(笑)基地の中のお店の品はめずらしく、ショッピングを楽しんでるとあやしまれMP(ミリタリーポリス)(軍警察)に捕まったことも今ではいい思い出です。(笑)

 

「沖縄に新しいものづくり」をと始まった「琉球みやらびこけし」。
こけしを作ることになったのはどのような経緯だったのでしょうか?

法人設立の当初は、沖縄も本土復帰の時期で理事の一人の方が「沖縄にも産業を」との思いで琉球みやらびこけしの制作に取組んだと聞いております。施設の前身は、障がい者の職業訓練校(時計や靴を直す)で手に職をつけて自立する目的があったので、身体に障害がある方々には向いている職業だと思います。昭和47年の8月に木工科として制作に取組んで来ました。
*「糸満娘」は昭和49年度に農林通産大臣賞も受賞しています。(談:仲本施設長)

沖縄に”こけし”はなく、東北の職人から技術指導を受け、技術を磨きながらの制作。
とはいえ、東北のこけしとは形も絵付けも違い、とてもオリジナリティがありますね。
デザインも試行錯誤があったのではないでしょうか?

デザインについては、沖縄の文化や風土、歴史などを取り入れたと聞いています。歴史の浅い、沖縄のこけしで何を表現したらいいのかと悩んだと聞いています。本土のこけしを見て雪を想像する方も多いと思いますが、沖縄で有名な織物紅型や琉球舞踊(四つ竹・野波節・花風・絣帯)を表現することで沖縄らしさにたどり着いたと思います。踊っている感じを出すために、くびれを入れ、また、小道具として花笠や傘などを用いています。(談:仲本施設長)

昔のこけしたち

 

開設当初より携わっている絵付け職人の田港 朝一さん、
職人歴40年目を迎えた翁長 敏光さん。翁長さんにお話を聴くことができました。

左:翁長敏光さん(S31年生まれ) 右:田港朝一さん(S16年生まれ)

・こけしの制作を始めた当初、おいくつくらいでしたか?

田港さんは、29歳ごろから事業に一番長く携わっています。

翁長さん:20歳のころに施設に入所してこけし事業に携わっています。

・物を作ることは好きだったんでしょうか?

翁長さん:当初はあまり興味もなく、ばくぜんと作業を教えてもらっていました。

・どれくらいで一人前の技術を習得しましたか?

翁長さん:いまでも練習は続けてます。休むと感覚が鈍ります。

・長年続けてこられた秘訣はなんでしょうか?

翁長さん:仕事を積み重ねる事でやりがいが生まれてきたし、こけしがいとおしく思えるようになってきた。いまでは楽しく仕事をしています。

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