日本で唯一の“寝かせる”という伝統をもつスピリッツ!?─600年の歴史を誇る泡盛の魅力─
「泡盛」のルーツはタイ?東南アジア?
11月1日は「本格焼酎と泡盛」の日です。沖縄でオリオンビールに並んで愛される「泡盛」には、600年の歴史があるといわれています。ひと昔前まで、「泡盛のルーツはタイである。15世紀ごろに沖縄にその製法が伝わった」という説が一般的でした。これは、沖縄の歴史研究家である東恩納寛惇氏(1882~1963)が、1933(昭和8)年にタイを訪れ、地酒であるラオ・ロンを飲んで、泡盛とまったく同じだ」と、翌年「泡盛雑考」を発表したことが端緒になっているようです。
しかし、15世紀ごろの琉球はタイのほかにも東南アジア諸国との交易も行っており、マラッカ産の酒を琉球の商人が大量に購入していたという見聞録もあることから、「泡盛の文化誌」の著者、萩尾俊章氏は、「タイのラオ・ロン起源説は、むしろ広く東南アジアルートとして考えるのが妥当だろう」と語っています。
また、萩尾俊章氏は「タイやマラッカなど東南アジアから蒸留酒が伝来したことも事実なら、福建ルートからも蒸留酒が渡ってきたのも十分に考えられる。蒸留酒の伝来は多面的かつ重層的である」とも語っています。東南アジアルート、福建ルート、この2つの道を通って、琉球に蒸留酒を造る技術は伝わってきたと、現在では考えられています。
薩摩の島津家に残る1575年の記録に、琉球から届けられた泡盛らしき酒の記述があります。当時琉球は、「あや船」という交易船で薩摩と交易していました。その年の使者が「60年前のあや船のときと同じ贈り物を持ってきました」と語り、唐焼酎一甕、老酒一甕、焼酎一甕を携えていたというのです。前のふたつは中国の酒ですから、最後の焼酎が泡盛だった可能性は非常に高いと思われます。
つまり、その当時には贈答品に用いられるほど琉球での蒸留酒造りは確立されていたわけですから、泡盛づくりは1400年代後半、15世紀末には始まっていたと推定されます。これが、泡盛の歴史は約600年という根拠にもなっています。
“お酒を寝かせる”という唯一のスピリッツ
琉球王国と酒に関する記述は、朝鮮の歴史書にも残っています。例えば、 「朝鮮王朝実録」1456年の条には「首里城正殿の下層には酒を置く」とあり、1461年の条には「那覇の港には城(御物城/おものぐすく)があり、酒蔵は1年もの、2年もの、3年ものに分けられていた」とあります。これらの貯蔵されていたお酒が泡盛なのかアジアの国々から輸入された酒なのかは、この記録だけでは定かではありませんが、少なくとも約500年前から蒸留酒を古酒にして飲むという習慣があったことがわかります。
1400年代後半には、琉球で泡盛造りが始まっていたと思われますが、当時の泡盛の造り方は、現在とはやや異なっています。
まず、原料は米だけではなく、粟も混ぜて造っていました。さらに、江戸時代の儒学者、新井白石の「南島志」(1719年)には、米を蒸して麹をまぶした後、「すべからっく水を下すべからず、封醸して成る、甑(こしき)を以て蒸してその滴露をとる」と記載があります。簡単にいうと、アルコール発酵させる際に、水を混ぜなかったというのです。現在の泡盛は、原料に麹を加えて米麹にした後、水と酵母を加えてもろみとし、アルコール発酵させますので、1700年代の泡盛の造りとはかなり違っていたことが分かります。
蒸留酒である泡盛は、沖縄のスタンダードな飲み方・水割りから、気軽に楽しめる炭酸割りまで、幅広い飲み方が楽しめるのが特徴です。日本酒や泡盛にあまりなじみのない若者の間では、泡盛をベースにリキュールや果汁を使用したカクテルも好評だそうです。テキーラ・ウォッカ・ジンなどと並ぶ、日本で唯一の“寝かせる”という伝統を持つ、スピリッツといえるお酒「泡盛」。知れば知るほど魅力的なお酒です。
【情報監修】
沖縄酒造組合
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