沖縄シーサーの歴史と文化
シーサーの起源と沿革
シーサーの起源は中国と古代オリエントから
シーサーの起源は、中国と古代オリエントの影響を大いに受けていると言われています。中国の獅子像や古代ペルシャの獅子像がベースになっており、これらがシルクロードを通じて日本に伝わり、シーサーとして定着したとされています。(諸説あります。)その特徴的な姿からライオンに似ているとも言われますが、これは中国やオリエント地方の獅子像が元になっているからで、シーサーが日本独自の文化として発展していく過程で、独自の特徴が加えられてきたそうです。
獅子像は権力や聖なるものの象徴として崇拝され、宮殿などに飾られていましたこともあり、シーサーも邪気を払い、福を招く存在として受け継がれてきました。
姿勢には意味が込められていて、口を開けているものは邪気を吸い込み、閉じているものは福を留めるとされています。
日本最古のシーサーは
八重瀬岳の富盛の石彫大獅子(ともりのいしぼりうふじし)
八重瀬岳の富盛の石彫大獅子は、日本最古のシーサーと言われています。このシーサーは、獅子の力強さと威厳を持ちつつ、沖縄の風土に溶け込んだ独特の表情をしています。
石獅子はジリグスクと呼ばれるグスクの中にあり、火除け(火返し)として尚貞王21(1689)年に設置されたもので、フィーザン(火山)といわれる八重瀬岳に向かっています。高さは141.2㎝、全長175.8㎝。当時村中に不審火が多いことで困っていた富盛村の住民が、久米村の蔡応瑞(大田親雲上)に風水を占ってもらった結果、八重瀬岳が原因だと判明されました。その対処として山に向かって獅子を建てると良いとの助言を受けて設置されたと伝えられています。
日本最大のシーサー 残波大獅子(ざんぱうふじし)
残波の獅子は、日本最大のシーサーとして知られています。この壮大な石像は、その存在感だけでなく、その細部までこだわった彫刻で、シーサーの歴史と芸術性を感じさせます。読谷村の残波岬公園内の広場に岬のシンボルとして設置されています。「琉球王朝時代に中国との貿易で栄えた読谷村の国交文化を伝えるため」昭和60年に完成しました。高さ:8m75cm、長さ7.8m!
大きいですね!
受け継がれるシーサーづくり 窯元「やちむん家」インタビュー
シーサーは、沖縄の文化と歴史を象徴する存在であり、地域の歴史や文化、生活と深く関わり、シーサーが地域の守護神として役割を果たしてきました。
そして、現代でもその価値は変わらず、次世代へとシーサーづくりが受け継がれていっています。
今回は、親子でシーサーづくりを営む窯元「やちむん家」のシーサー職人、新垣 光雄さんと優人さんにお話を伺いました!
やちむん家の師匠 新垣光雄さんは、ご自身の代で3代目。
優人さんは光雄さんの息子であり、シーサーづくりにおいて、光雄さんのお弟子さんになります。職人歴は8年。お二人が生み出すシーサーは同じようで全く違っています。それぞれのこだわりについて伺ってみました!
シーサー作りを始めたきっかけは?
光雄さん(師匠)
元々仏像が好きで、不動明王の顔が好きだったんです。シーサー作りをしていた親のシーサーを見ていると、何となく顔が似ている気がして、そこに魅了されて、シーサー作りの世界に入りました。
優人さん(弟子/息子)
元々跡を継ぐ気は全くなかったんですが、師匠の作った清水寺の龍のオブジェを見て、伝統芸能だからとかではなく、純粋にかっこいい!と思ってのめり込みました。
ご自身のシーサーの特徴は?
光雄さん(師匠)
シーサーの彫刻といえば、3,4頭身のものが多いのですが、自分は筋肉や表情の動きをもっと繊細に描きたいという思いがあり、5,6頭身のものを作ったりします。お客様にゾクゾクしてもらいたいという思いを込めて作っています。
優人さん(弟子/息子)
自分は、怖いシーサーを作りたいと思っているので、牙が鋭かったり、顔つきも怖いものが多いです。シーサーには魔除けの役割があるので、災いを追い払ってほしいという意味を込めて作っています。
シーサー作りってどうやって学ぶんですか?
光雄さん(師匠)
昔から沖縄には、「みいなれ、ききなれ」という言葉があります。見様見真似で覚えろという習慣ですね。師匠の作品やいろんなものを見ながら、自分で覚えました。
優人さん(弟子/息子)
師匠と同じですね。見様見真似で作ってきました。元々窯元の家に育っているので、身近に制作現場があるのも大きいと思います。
自分が一人前になったと思った瞬間はいつでしたか?
光雄さん(師匠)
そうですね、10年経ってやっとでしたかね。そのくらいの頃に、やっと作品が安定して生み出せるようになったように思います。それまではどこか不安定でしたね。
優人さん(弟子/息子)
今ちょうど8年になりますが、自分はもっと早くから落ち着いていましたね。作品のレベルはもちろん日に日に腕が上がっているので違うと思いますが、シーサーのテーマはずっと同じです。
今後どんな作品を作ってみたいですか?
光雄さん(師匠)
自分としては今も昔も変わらずシーサー作りが楽しいので、お客様にゾクゾクしてもらえるようなシーサーをこれからも作っていきたいと思っています。
優人さん(弟子/息子)
やっぱり、師匠の清水寺の作品のような巨大作品を作ってみたいです。清水寺の作品は2m80cmもあるんです。1つの窯で一度には焼けず、分割して焼いたものを後で組み合わせるんです。そんな制作を側で見てるとワクワクします。