投稿日:2024.10.28

アメリカ文化と融合した沖縄のまちコザの歴史と文化を求めて -後半編-

後半編の概要

前半編では、私たちの研究の概要に加え、「コザならではのカルチャースポット」として国際色豊かなカルチャーを安心して楽しめるスポットを紹介しました。後半編では、昼に訪れて欲しいスポットとして、過去にアメリカ文化と沖縄文化が混ざった街、多くの米国人によって栄えた歴史とその衰退を感じることのできる場所を紹介していきます。

コザの街並み、暗い歴史の一面

沖縄市のコザは戦後直後から米軍関係者や地元の人で夜はとてもにぎわっていました。しかし基地が近いという地理的条件から、様々な事件が起きた過去があります。後に登場しますが、コザでは黒人専用の繁華街、白人専用の繁華街と分けられていました。沖縄市には戦後の町の歴史や、成り立ちを知ることができる場所が多くあり学ぶことができます。コザはアメリカの異文化の波によって独自の文化が作られそれが今でも飲食店、喫茶店として残っている貴重な場所です。飲食店や喫茶店はこれまで観光サイトなどで十分に取り上げられていますが、是非コザに来た際には立ち寄ってコザの食文化も感じてほしいです。

沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート

一つ目に紹介する場所はコザゲート通りにある沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリートです。ここでは戦後すぐ、米軍統治下時代、コザ暴動をはじめとした多くの写真や資料が展示されています。当時の飲食店で使われていたグラス、ジュークボックス、許可証も展示されており、沖縄市と基地が歩んできた歴史を総合的に知ることができる場所です。展示されている写真や資料の内容は細かく、特にコザ暴動の時の写真や新聞記事は多く展示されており当時沖縄県民の感情を読み取ることができます。個人的に印象だったのが、当時の繁華街を複数人のアメリカ人が飲み歩いている写真の展示です。それらは黒人しかいない写真、白人しかいない写真と人種で写真が別れていました。黒人白人両方映った写真はなく、当時は米兵の人種による対立がはっきりしていたことがわかります。次に紹介する銀天街は黒人専用の街で、当時は人種によって遊べる場所は厳しく決まっていたのです。 

銀天街

二つ目は銀天街でコザ十字路付近にあります。ここは戦後に黒人米兵を相手にしていた商店街で、当時はバー、化粧品店、仕立屋などがありました。かつては本島中から人が集まって、主に米軍の黒人向けに商売をしていましたが、大型店舗が増えるにつれて衰退し、アーケードも老朽化のために解体されました。今は数店舗の商店が営業を続けており、ほかの建物はシャッターが閉まっています。最大の特徴は先ほど述べたように黒人アメリカ人相手の商店街であったことで、カラフルでラテン系な色の建物、道が残っていることです。人は少なく寂しい雰囲気ではありますが、戦争時の米軍はPAYDAY=給料日には派手にお金を使い、当時は那覇の国際通りに負けないくらいの賑わい、儲けがあったとの住民の証言がありました。

沖縄市の新たな魅力

北谷のアメリカンビレッジをはじめとする主要な観光地も沖縄を訪れる人を引き付ける素晴らしい場所であり、周辺のカフェやレストランもとても魅力的です。しかし、それらは観光のためにつくられた街であり自然に生まれた歴史ある場所ではありません。沖縄市コザは戦後まもなく地元の人を中心に復興を目指して生まれ、沖縄の本土復帰にも関係している歴史ある街です。訪れる事で繁栄と衰退の歴史を知り、基地問題、人種差別を考えるきっかけにもなり得ます。重ねてこれまで観光雑誌や、他のブログなどでも十分取り上げられていますが、地元の人が営業する喫茶店などに行くことも、その場所、歴史を守ることにつながります。

終わりに

私たちは今回、沖縄市の観光PRとしてディープなスポットを紹介してきましたが、大事にしたことは、「コザのありのままの魅力を伝える」ということです。既存の観光PRの手法では、表面的であったり、綺麗なところばかりを紹介していたりする傾向があり、コザの本当の魅力を伝えられる媒体が少ないのではないかと感じます。そこで、本記事では、筆者自身が体験し、現地で聞いた情報をもとに、コザの歴史、文化に焦点を当てた観光を提案しました。特に銀天街においてはさらに地元の方に聞き込みを行い、その歴史とこれからについて紹介することができたらと思います。