中城御殿起工式
2024年11月2日天晴、中城御殿にて起工式があり、第二尚氏尚本家23代当主としてテープカットをさせて頂きました。
中城御殿とは、琉球国の世継ぎ(世子、中城王子)の屋敷の事で、宮殿として建てられた大邸宅で、質の高い建築技術が駆使された堂々たる姿は、大規模な伝統的な琉球建築でした。
中城御殿の名称の由来は、王世子が伝統的に沖縄中部の中城村統治を任されていたため、中城王子と呼ばれていたことに拠ります。
この邸宅は元々、首里城にも程近い、幅広い儀式用の大通りの中山門近くにあり、琉球王朝時代が終わる直前の1873年に、龍潭に面する広々としたところに移築され、1875年には当時の世子の尚典が移住し、1879年の琉球処分以降は尚泰王以下、尚本家一家が移住し、「尚侯爵首里邸」になりました。
中城御殿は、首里城と同じく琉球の慣習に従い区分けがされており、一般の行政関連のエリアは南向きの正面門の近くに設けられ、一般の人も立ち入ることができ、世子とその家族の人々が暮らすプライベートエリアはその奥にありました。最も奥深くにあったのは、御内原という女性のためのプライベートエリアでした。
中城御殿の建築の配置と設計は、日本と明国の設計法の要素を、琉球古来の特徴に融合させたものになります。約20棟の高床式の木造建築で構成され、それぞれの棟は琉球様式の庭園や中庭の周囲に群をなすように配置され、屋根付きの廊下でつながっており、さらなる区分けや空間の明確化のために、石垣が作られました。
中城御殿の最も興味深い特徴の1つは、門や中庭が中心軸に沿って明確に並ぶという配置です。これは明国の宮殿の建築様式が由来となっていますが、中城御殿全体の地取りには明国に見られる厳格な対称性が見られません。建造物はより自由な配置で、これは日本の美意識や機能面の感性に近いものがあります。
その後、沖縄戦により消失しましたが、幸い多くの資料が現存していたため、この度、首里城公園中城御殿エリアとして復元整備が始まり、無事に起工式を結びました。
中城御殿は上之御殿エリア、表御殿西側エリア、表御殿西側エリア、御内原エリアに分かれており、それぞれに首里城公園全体の魅力向上を目指しています。琉球の歴史・文化の体験学習として、王家ゆかりの屋敷である琉球建築や庭園の体験、城郭内にあった美術工芸品や尚家関係資料等の展示・収蔵などを予定しております。
【中城御殿 起工式の様子】
中城御殿は首里城正殿と同じ2026年の完成を目指しております。
私の祖先の尚泰が本土に移った後、沖縄に来ると中城御殿を住処にしていたのですが、19代にして最後の王となった尚泰王の時代から23代の私が生きている間に、誇りある歴史の証が形になってくれる事を有難く思います。
首里城と合わせて、中城御殿が皆様に愛される御殿になる事を祈念申し上げます。
筆者:尚衞
第二尚氏
23代尚本家現当主
玉川大学卒業後、米アラバマ州サムフォード大学に留学しMBAを取得し、企業の取締役、理事長などを経て一般社団法人琉球歴史文化継承振興会を設立し、代表理事に就任する。