てぃだこの太陽王
今回は『浦添ようどれ』について、前後編でお伝えさせて頂きます。
浦添市は沖縄本島の南部地域と中部地域の境目に位置する市で、総人口は114,254人の沖縄県第4の都市であります。
浦添市の歴史は古く、尚氏王統より前の13世紀頃の英祖王統の中心地として栄え、その当時の中山王国の首都でありました。
この歴史深い浦添市で、4月5日にコミュニティラジオ放送局FM21に父と出演させて頂きました。
「浦添ただいま進化中!」(毎月第1金曜夜7時~8時)のパーソナリティを務める浦添市長松本哲治様との60分の鼎談で、浦添市へ向けられる多くの方々の愛情深さを感じる事ができました。
浦添市には『浦添ようどれ』がございます。
浦添ようどれとは王墓のことで、眠られる王様は英祖王統を築きました英祖王統初代王の英祖王と第二尚氏王統、第七代尚寧王でございます。
英祖王は生誕時に御母上様が太陽を飲み込む夢を見られたことから、「てぃだこ(太陽の子の意)」と呼ばれております。
その浦添ようどれにて、4月6日に御清明祭がございました。
まずは、英祖王の王墓の前でお参りをいたしまして、続いて尚寧王の御清明祭となります。英祖王は舜天王統の第三代王・義本王から王位を譲り受け、即位なされた王であります。
義本王の治世、琉球国内に飢饉や疫病が流行していました。そのため、王は王政を任せる摂政を探し始めました。
群臣達は太陽の子と呼ばれた英祖を推し、彼が摂政に就任すると数年の内に災厄は無くなったため、王位を譲ることになったと言われております。英祖王は農政に力を入れ、租税の公平化を図るなど、後世に偉大な王として称えられます。
その偉大なる英祖王を偲び、来年も浦添ようどれにて王の御清明祭を執り行います。今年よりも盛大に執り行えたらと思っております。皆さまも英祖王に会いにぜひ、浦添ようどれにお越しくださいませ。
次回は父が尚寧王の御清明祭についてお話しさせて頂きます。
筆者:尚 満喜(しょうまき)
1984年生まれ。
自由が丘 産能短期大学卒業
神職資格を取得し、現在は東海地方にて神職として神社に奉職しながら一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会の副代表理事を務める。
◆一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会
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