越来に眠る尚宣威王 御清明祭【特別寄稿④ 尚本家第23代当主 尚衞】
特別寄稿も4回目となりました。
今回は越来の第二代国王・尚宣威王の御清明祭についてお話しさせて頂きたく思います。
尚宣威王は初代尚円王の弟君であり、5歳の時に父君と母君を亡くされ、兄尚円王によって養育されました。
兄が薨去した後に、世子であった尚真が12歳の若さの為、王位を継ぐには早すぎるとして叔父である尚宣威が群臣に推される形で、尚真が王位を継ぐまでの中継王として48歳の時に即位しました。
しかし、その半年後の2月、キミテズリ神の神意により退位を余儀なくされ、世子久米中城王子の尚真王が新たに即位なされました。
この尚宣威王の退位については、尚真王の母后の世添大美御前加那志の宇喜也嘉の策略であったのではないか、と伝わっております。
その後、退位してからの夏に尚宣威王は越来で薨去されました。
尚宣威王の王女・居仁は尚真王の王妃になりましたが(従兄妹同士の夫婦)、その嫡子である尚維衡(浦添王子)は廃嫡されます。
玉陵の御清明祭でお話しさせて頂きました玉陵碑には大明弘治14年9月大吉日に尚真王の
「みことのり」として、尚維衡やその子孫を玉陵には葬ってはならない、という碑文があります。
私はこの碑文を拝見すると、何とも申しがたい気持ちになります。
どの様な理由で玉陵の被葬者を決定付けられたのか、その当時に生を受けてない私には知る由もありませんが、尚円王の右腕であられたであろうと想像に固くない尚宣威王です。
その尚宣威王と子孫を廃することが必要だったという王家内の争いに対し、平和的解決は出来なかったのでしょうか。
私自身は尚宣威王に敬意を表します。
王家というものは国を存続させるにあたり、時には血統を超えてより良い為政者を選ぶ必要性がございます。舜天王統の義本王は己の血統では無かった英祖王に王位を譲られておられます。その行いは琉球王国の為を思っての事と私は拝察いたします。
尚宣威王も立派に王としての勤めを果たそうと努力なされたのではないのでしょうか。
4月6日の午後、現在の尚宣威王の直系第21代当主湧川朝治様や、その分家の方々の御力にて尚宣威王の御清明祭が斎行なされました。
多くの分家の方々が集まり、お参りなさる姿を拝し、尚宣威王もさぞお慶びと存じます。
私も二年前から参加させて頂いており、また毎回来沖いたします折に、お参りをさせて頂いておりまして、今年は娘と共にお参りをさせて頂きました。
玉陵から廃されました尚宣威王の子孫は、その後王位に就かれます。
第七代国王尚寧王であられます。尚寧王の御世は国難の時代ではありましたが、
尚家一丸となり立ち向かわれた事と御察しします。
私自身も、尚宣威王の血筋の方々に数多くの御助力を頂き、誠に感謝いたしており、今後も手を取り合い、沖縄の為に微力を尽くさせて頂けたらと存じております。
願わくは、多くの皆様に尚宣威王が眠る越来の御陵に参拝いただきたく存じます。
【特別寄稿者筆者】
尚 衞(しょう まもる)
尚本家第23代当主。
1950年生まれ。
玉川大学卒業後、アメリカアラバマ州、サンフォード大学(Samford University in Birmingham Alabama U.S.A)にてMBA取得。
一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会代表理事として務める。
◆一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会
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