神の島 久高島
皆さんこんにちわ。
今回は久高島のお話しをさせて頂きます。
久高島は、琉球開闢の祖アマミキヨが天から舞い降りてきて、ここから国づくりを始めたという琉球の聖地であり、島中央部にありますクボー御嶽は久高島第一の聖域であります。
また、久高島には穀物起源伝承があります。『琉球国由来記』によると、島の東海岸にある伊敷浜に流れ着いた壷の中に五穀の種子が入っていたと記載されており、五穀発祥の地とされています。
島の伝承によると、流れ着いたのは壷ではなく瓢箪であり、それをアカッチュミとシマリバという名の夫婦が拾ったともいわれています。
この穀物起源伝承に基づく麦のミシキョマ(初穂祭)が二月に行われ、琉球王朝時代には聞得大君と共に国王自ら隔年に一度、与那原の浜から船出して久高島に渡り、初穂祭を執り行い、東海岸の伊敷浜よりニライカナイを遥拝しました。
麦の初穂祭を執り行った二月は、二月風廻りといって特に海が荒れやすい時期であり、久高島への渡海は命がけでした。それ故、『羽地仕置』によると、1673年国王の久高島行幸を廃止したとあります。
しかしその後も当職(代理人)による、久高島参詣は続けられ、久高島の麦で神酒を醸し、琉球王府の各処の御嶽に供え、琉球の穀物儀礼をしたようです。
後に国王に任命されたノロ(外間ノロ、久高ノロ、根神)が、島の穀物起源伝承をなぞりながら初穂祭の祭祀を執り行いました。祭祀には朝拝み、夕拝みとあり、聞得大君と王府関係者が参列していたようです。
ノロ達は12年に一度の秘祭「イザイホー」を通過儀礼としていました。
現在では継承できる人が島に不在で、1978年を最後に途絶えています。島の久高島交流館にはイザイホーの時の貴重な写真が展示されていますので、ぜひ、立ち寄ってみてください。
私は今から4年前に久高島を父と伯母と訪れ聖域を拝礼させて頂きました。父も私も初めての参詣であり、必至に拝みの手順を覚えた記憶がございます。暑い中の拝みでございましたが、とても感慨深かったです。
久高島はとても大切な島です。来島の際には島の掟を護られまして観光下さいませ。
筆者:尚 満喜(しょうまき)
1984年生まれ。
自由が丘 産能短期大学卒業
神職資格を取得し、現在は東海地方にて神職として神社に奉職しながら一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会の副代表理事を務める。
◆一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会
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