投稿日:2020.07.27

日本遺産中頭方西海道について【元琉球王族、尚家が語る沖縄への想い】

皆さん、こんにちは。
日本政府によりますGO TO トラベルキャンペーンが始まりました。
この連休にお出かけになられる方も多いかと存じます。三密を留意される皆様に今回は日本遺産に認定された国史跡「中頭方西海道」(なかがみほうせいかいどう)についてお話しさせて頂きたく思います。

中頭方西海道は1597年、第二尚氏七代尚寧王の命で浦添城から首里平良までの首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道として整備された、石畳の道です。
琉球王朝時代の幹線道路として造成されました。整備の当時、石造アーチ橋の安波茶橋も造られ、小湾川に架けられた南橋と、支流のアブチ川に架けられた北橋もありました。

南橋は沖縄戦で破壊され、北橋も崩壊していましたが、平成10年に修復され現在に至っております。

 


安波茶橋の下流側崖下には、赤い椀(皿)で水を汲んで国王に献上したと伝えられる赤皿ガーがあります。
また、1644年から国王の普天満宮参詣にあたり国王はこの道を通り参拝されました。その為に信仰道路として改修され、松の植栽もされました。普天満宮参詣道は同道から分岐しており、その当時の石畳が残る浦添市指定文化財の「当山の石畳道」があります。
当時、道を舗装し整備するのは一大事業であり、その国の国力が見え隠れする部分でもありました。尚寧王は石畳を敷きインフラ整備をし、その道は「尚寧王の道」と呼ばれるに至っております。国民の為に、より安全性を求め、良い道を造ると言う事は、現在でいう交通事故を少なくします。
尚寧王が民を想いなされた道の整備事業は、現代の私達も後世の為に引き継ぎしていかねばならない事であり、先人の方々の手振りを見て私達も伝えていければと思います。

名称 :中頭方西海道 石畳道と安波茶橋
所在地 :沖縄県浦添市安波茶3-8地先

<普天間宮>
鎮座地:沖縄県宜野湾市普天間1−27−10
お問合せ先 :電話番号 098-892-3344

 

 

筆者:尚 満喜(しょうまき)
1984年生まれ。
自由が丘 産能短期大学卒業
神職資格を取得し、現在は東海地方にて神職として神社に奉職しながら一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会の副代表理事を務める。

◆一般社団法人 琉球歴史文化継承振興会
https://ryukyu.or.jp