書籍と巡る沖縄vol.2「沖縄島建築」ー建物と暮らしの記憶と記録ー味な建物探訪 岡本尚文著
書籍と巡る沖縄vol.2
「沖縄島建築」
ー建物と暮らしの記憶と記録ー味な建物探訪」
岡本尚文著
沖縄は独自の風土からその建築様式も歴史と共に特徴的な変貌をみせる。
畳を基調とする日本様式、そして風水を重視する中国の影響、東南アジアに見られるような風合い、魔除けのシーサー。そして鉄筋コンクリート造。
書籍「沖縄島建築」では冒頭に「建築を通じて人々の暮らしを想像 人を通じて建築を味わう」と記されている通り、沖縄独自の建築をそこに住む人々と共に眺め、建築から人々の歴史を浮き立たせるような、古きから学ぶ味わいをじんわりと感じさせてくれる1冊だ。
今回ご紹介するのはこの書籍に登場し、圧倒的な存在感を醸し出す名護市庁舎。
公募によってそのデザインが決定され、コンクリートブロックをふんだんに取り入たそれは「沖縄建築」を見事に表した建築として名高い。今回、沖縄の風土と歴史が織りなす沖縄建築を元名護市庁舎等検討委員会委員として、企画に携わって来られた木下義宣(きのした よしのぶ)さんと沖縄建築の歴史と共に名護市庁舎を味ってみたい。
名護市庁舎〜沖縄建築とは何か。コンペで選ばれし市庁舎〜
中村:こんにちは。今日は名護市庁舎や沖縄の建築について、名護市文化財保存委員でいらっしゃる木下さんにお話を伺いたいと思います。よろしくお願いします。
木下さん:はい。よろしくお願いします。
中村:名護市庁舎を初めてみたときは思わず息を飲みました。
とても印象的な建築ですね。
木下さん:そうですね。名護市庁舎は全国のコンペで選ばれた建築になります。
一次審査には308点もの応募が全国からありました。
そこから二次審査に進んだのは5点です。
そして最終的に選ばれたのが象設計集団のものだったのです。
当時私は市民から選ばれた委員の1人として企画に参加しておりました。
当時は競争入札などが一般的でしたが、あえて公募にしたんですよ。
選ばれた造設計集団の方々はなんといっても沖縄の地をよく調べておられました。
沖縄とコンクリート建築
中村:名護市庁舎のコンクリート造を見て興味が湧き、色々と調べてみました。
沖縄ではコンクリート建築が盛んですが、木下さんは風土建設家であり、沖縄コンクリート建築の父と呼ばれる清村勉さんと沖縄建築の調査にあたられています。
木下さん:清村さんは鉄筋コンクリート構造の建築物がほとんどなかった頃に沖縄で初めてそれを手掛けた人です。昭和6年頃に鉄筋コンクリートといえば清村さんしかいなかったですね。
中村:清村さんが手掛けられた建物はとても頑丈だったと聞きました。
木下さん:清村さんが手掛けられた建造物前後で比べられる建物がそれほどないので比較は難しいですが、清村さんの建築は多少の腐食やコンクリートの亀裂はありましたが、やはり頑丈であったと思います。その背景には施工管理の徹底ぶりが伺えます。
材料となるものをしっかりと調査・管理し、丁寧に扱い、建築へ生かした背景が伺えます。
伊是名小学校が現存していた時、取り壊しの調査がありました。
当時私は高校に努めておりまして、
清村さんと、生徒・職員・役所職員の方々と実測調査を行いました。
その時に工事のやり方や現地調査などヒアリングすることができました。
清村さんが小学校を設計監理された時、清村さんは20代〜30代くらいで、
全国的にもコンクリート建築の普及が始まったばかりの頃です。
台風やシロアリの被害、耐火災対策も必要だと考え、
鉄筋コンクリートを広めるため尽力なさいました。
中でも小学校建設ということで「頑丈であってほしい」という思いを強く持たれていました。そしてそれを普及させるのだという情熱を強く持たれていましたね。
ここまでのお話を聞いて〜沖縄と鉄筋コンクリート〜
一重にコンクリート建築と言っても簡単に普及したわけではない。
軍が使用していたものが民間に普及し、塩が多分に含まれる沖縄の地で頑丈なコンクリートが出来上がるまでには職人方の尽力がある。
清村さんという1人の熱い思いがあり、賛同する方がおられ、今や「現存県内の80%近くが鉄筋コンクリート造」となっている。しかし当初清村さんも「コンクリート造に対し賛同を得るのは並大抵のことではなかった」そうである。
しかし、清村さんのこの土地に対して、この土地に住む人にとって必ずこの建築は役立つという強い思いが沖縄に鉄筋コンクリート造を普及させ、人々の生活を守ってきた。
木下さんは「清村さんの考えに基づいて設計し、築23年間クーラー無しで、夏場の南風を室内へ取り込み快適に過ごしている」と述べられている。
歴史を知ってもう1度名護市庁舎を望む
中村:沖縄と住居に関する歴史を知ると、冒頭で木下さんがおっしゃった
「象設計集団の方が沖縄の風土や建築をとてもよく調べておられた」というお話に今まで以上の重みを感じます。
木下さん:そうですね。仕事に対する情熱は凄かったと思います。
建設中など、現場で象設計集団の方をお見かけすることがありましたよ。
リーダー的存在であった大竹康市さんは本当によく沖縄のことを調べておられました。
地域のこと、気候のこと、風土のこと、そして古い建物のこと。
こちらではウタキというのですが、森の鎮守様を祭る場所ですが…
そういう場所のこと、そしてアサギ(集落の神様の祭りを行う建物)のことまでよく調べられていました。
彼らの設計は、これらの事まで取り込んでくるような設計だったのです。
中村:歴史と沖縄独自のコンクリート建築への知識と探究、そしてその土地への思い、それらが見事に調和した作品だったですね。
今日は貴重なお話をありがとうございました。
最後に沖縄には素敵な建築がたくさんありますが、
木下さんおすすめの沖縄建築を教えてください。
木下さん:象設計集団の方が手掛けられた建築というのが沖縄には何点かあります。
それらを探してみられるのも楽しいのではないでしょうか。
中でも「海の家」「山の家」などはいかがでしょうか。
〜お話を伺って〜
今回お話を聞くまで、時代背景と共に建築を見るということをしようとした事がありませんでした。今回お話頂いたことで、一つの物事の中に宿る人々の思い、その土地の歴史、特徴、文化がより深く鮮明に見えてきたように思います。
ただ時間と共に流れてしまうのではなく、今日のお話で語っていただいた、物事に対する「情熱」を先人から学んでいきたいと感じました。このような文化財の保存にご尽力されている木下さんの益々のご活躍をお祈り申し上げます。
参考文献:建築情報誌 しまたてぃ No.80